大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和40年(つ)6号 決定 1966年3月16日

請求人 西村義夫こと金竜角

決  定 <請求人氏名略>

右請求人から、法務事務官東京拘置所保安課長木戸甚太郎について公務員職権濫用の嫌疑ありとして、刑事訴訟法第二六二条第一項による付審判の請求があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件請求を棄却する。

理由

一  本件請求の要旨は、

請求人は、昭和四〇年六月二二日東京地方検察庁検察官に対し、法務事務官東京拘置所保安課長木戸甚太郎を公務員職権濫用の罪で告訴したものであるが、検察官は、同年一二月一三日犯罪の嫌疑不十分としてこれを不起訴処分に付し、その処分結果は同年同月一八日請求人に通知された。しかしながら、諸般の証拠によれば、右木戸甚太郎は、昭和四〇年六月頃、当時東京拘置所に未決拘禁中であつた請求人が、朝日新聞社「声」欄係に宛て、「無罪を叫んで最高裁に訴えた男」と題し、請求人に対しなされた執行猶予取消処分と右処分に関する最高裁判所等の取扱措置を批判した内容の投書を発信しようとした際、保安課長としての職権を濫用してこれを禁止したものであつて、その行為が刑法第一九三条の公務員職権濫用罪に該当することは明らかである。従つて、検察官がこれを嫌疑不十分として不起訴処分に付したことには不服がある。そこで、同人に対する公務員職権濫用事件を裁判所の審判に付することを求める。

というにある。

二  本件関係記録によれば、木戸甚太郎は、法務事務官であつて、昭和四〇年三月一六日より東京拘置所保安課長の職にあつたところ、同年六月八日頃東京拘置所において、当時、同拘置所に未決拘禁中であつた請求人が、朝日新聞社編集局「声」欄係に宛て、「無罪を叫んで最高裁に訴えた男」と題した投書を発信しようとした際に、これを閲覧したうえ、その発信を禁止したこと、請求人は、昭和四〇年六月一六日付告訴状によつて、東京地方検察庁検察官に対し、右木戸甚太郎を前記禁止処分を理由に公務員職権濫用罪で告訴し、右告訴状は、同年同月二二日東京地方検察庁検察官により受理されたこと、東京地方検察庁検察官山梨一郎は、捜査のうえ同年一二月一四日右告訴事件を、結局職権を濫用したと認めるに足る証拠が十分でないとの理由により、嫌疑不十分の裁定主文をもつて、不起訴処分に付し、右結果は、同年同月一八日請求人に通知されたこと(なお、検察官が右告訴事件の犯罪発生時期を昭和四〇年三月頃として取扱つているのは、告訴状等を誤解したものかと思われ、告訴状には犯罪発生時期が明記されていないが、その全趣旨から判断すれば、昭和四〇年六月頃と解して取扱うべきものである。)が、それぞれ明らかである。

三(一)  そこで、まず、右木戸甚太郎の本件投書発信禁止処分の当否を、次いで、同人に対する公務員職権濫用罪の成否を検討し、本件付審判請求が理由あるものかどうかを考察することとする。

(二)  憲法第二一条は、表現の自由を保障し、検閲を禁止して、通信の秘密を不可侵なものと定めているが、これらも、いかなる場合にも制限されない絶対的なものではなく、他の基本的人権と同様、他にこれらに優越する公共の福祉にもとずく合理的必要性が存在する場合には、その必要性の範囲内で、適正な方法による制約が許容されるものと解せられる。

ところで、請求人は、本件投書の発信を禁止された当時、未決拘禁者として東京拘置所に在監していたものであるから、このような未決拘禁者の監獄内より発する文書を監獄官吏等が閲覧し、あるいはその発信を禁止することが憲法上許容されるかどうかについて考えてみる。まず、未決拘禁者の発信文書を全く閲覧することができず、外部との通信を無制限に自由に放任しなければならないものとすれば、未決拘禁者が外部との通信により容易に罪証を隠滅し、または逃亡をはかること等ができることとなり、かくては、憲法がこれを是認しているものと考えられる未決拘禁制度の目的を没却することとなるから、罪証の隠滅や逃亡を予防し、監獄内の秩序を維持して、未決拘禁制度を実効あらしめるためには、監獄官吏等において、未決拘禁者の発信する文書をあらかじめ閲覧して、その内容を了知することが必要であり、かかる限度で未決拘禁者の表現の自由、通信の秘密が制限をうけることもやむをえないものというべきである。刑事訴訟法第八一条が、特に、逃亡し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある場合に、裁判所が、勾留されている被告人と弁護人(又は弁護人となろうとする者)以外の者との間で授受される書類その他の物について検閲しうると定め、また、監獄法第五〇条、同法施行規則第一三〇条が、監獄官吏につき、未決拘禁者を含む在監者の発する信書の検閲を許容しているのも、かかる観点から是認されるものと解せられる。しかしながら、監獄官吏等が未決拘禁者の発信する文書を閲覧することが許容されるとしても、更に進んで、その文書の発信を禁止することまでができるかどうかは別に検討されるべき問題である。何故なら、監獄官吏等としては、文書の内容を了知さえすれば、逃亡、罪証隠滅等の疑いが存する場合にもこれに対し適切な措置をとりうるのが通例だからである。しかし、未決拘禁制度を維持し、被拘禁者の逃亡、罪証隠滅等を防止するために、その文書の発信そのものを禁止する必要のある場合もない訳ではないのであるから、そのような場合に、法律によつて文書の発信を禁止できると規定したとしてもただちに憲法に反する訳ではない。刑事訴訟法第八一条は、逃亡し、または罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある場合には、裁判所が、勾留されている被告人と弁護人(又は弁護人となろうとする者)以外の者との間で授受される書類その他の物について、授受を禁止し、差押えうると定めているが、これは、禁止しうる場合が極めて制限されているうえ、その判断を個別的に裁判所にゆだねていて、未決拘禁制度の維持という公共の福祉の要請にもとづく合理的必要性の範囲内の規定と考えられるから、憲法第二一条に反するものではないことが明らかである。しかし、未決拘禁者の文書の発信を禁止しうるのは、原則として、右刑事訴訟法の規定する場合に限られると考えるべきであつて、監獄法第四七条第一項が、監獄官吏が発受を禁止しうる信書を「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニ係ル信書」と限定していて、未決拘禁者の発受する文書については言及していないのも理由のないことではないと考えられる。従つて、監獄官吏としては、逃亡、罪証隠滅等を防止するため、特に文書の発信を禁止することまでが必要な場合には、前記刑事訴訟法第八一条による裁判所の措置の発動を求め、裁判所の判断にもとずいてこれをなしうるのであり、また、右文書の発信が特定の犯罪を構成するものであるような場合には、刑事訴訟法規の定めるところにより、これを差押えるよう裁判官に令状発付の措置を求めうるのであるから、この限度をこえて、自ら右文書の発信を禁止し、または実質的に同じ効果を有する右文書の一方的削除抹消等をすることは、原則として許されないものといわなければならない。ただ、例外的に、右文書の発信により、未決拘禁者が逃亡、罪証隠滅等をはかる場合や、右文書の発信が特定の犯罪を構成するような場合で、かつ、令状の発付等前記裁判所、裁判官の措置の発動をまつ余裕がなく、一度発信を許してしまえば、後に司法的抑制措置がとられても、その効果が失われてしまうであろうような特別の事情が存する際には、閲覧の任に当る監獄官吏が一時的に右文書の発信を禁止する処分を行うことが、後に司法的抑制措置のとられることを条件として是認されるものと考えられ、そう解しても、未決拘禁者の憲法上の権利を前記合理的必要性の範囲をこえて、不当に制約することとはならないであろう。結局、監獄官吏の判断による発信禁止処分が是認されるのは前記説明のような極めて例外的な場合に限られるのであつて、単に、文書の内容が他の未決拘禁者等に悪影響を与えるおそれがあるとか、未決監の実態を局外者に誤解させるおそれがあるなど拘禁施設の管理運営上好ましくないという事情の下で発信禁止処分を是認することは、許されないというべきである。

なお、本件関係記録によれば、以上の点に関し、「刑事被告人の発する信書について」と題する昭和二六年九月二七日付矯保甲第一、二九二号刑政長官通達があり、これによれば、「一、信書の検閲によつて、その信書が犯罪を構成するものと認められる場合には、本人にこの旨を伝え自発的に発信を止めさせて、これを領置する。但し事案によつて直ちに刑事手続によることを必要と認めるときは速かにこれが差押令状の発付を求める手続をなすこと。二、一の本文の措置に対して本人がなおこれを不当として発信を主張して譲らないときは、犯罪構成容疑の信書として検察官に連絡して、裁判官の差押令状により差押の措置をとること。若し裁判官が犯罪成立せずとして令状を却下したときは発信を許すこと。三、信書の内容が施設の管理運営上発信を適当としないものについては、その長の意見により、被告人の意思の如何に拘らずその部分を抹消することができる。四、以上の措置をとることについては、常に関係検察庁と連絡を怠らないこと。」と定められている。右通達の定める一、二、四の各措置は、前記説明に照らし妥当と考えられるのであるが、三の措置は、未決拘禁者の発する信書の内容が施設の管理運営上発信を適当としないものにつき、その長の意見により、被告人の意思いかんにかかわらず、この部分の抹消を許すというのであつて、監獄法関係法令になんらの明文もなく、「施設の管理運営上発信を適当としない」という概念が広範囲に過ぎ、その判断を施設の長の裁量にゆだね、しかも被告人の意思を無視して一方的に不適当な部分の抹消を許すというのであるから、たとえ関係検察庁と連絡するとしても、前記説明に照らし、公共の福祉にもとづく合理的必要性の範囲をこえて、未決拘禁者にも憲法上保障された憲法第二一条による表現の自由の一態様である文書発信の自由を不当に制約するものではないかと考えられる。

(三)  そこで、以上の前提の下に、本件請求人の投書発信行為について考えてみると、右投書は、請求人に対してなされた執行猶予取消決定がその確定前に執行されたこと及びこの点を不服とする請求人の申立について最高裁判所等がとつた取扱い態度を不当であるとして、各措置を非難するとともに、右投書の読者が請求人の見解を支持し、請求人に協力することを希望したものであつて、請求人の見解及びこれを朝日新聞「声」欄に投書することの当否はともかくとして、それが直ちに名誉毀損罪その他の特定の犯罪を構成するものとはいえないし、まして、本件投書について前記説明のような差押その他の司法的抑制措置をとる必要も、拘置所保安課長が直接発信を禁止する措置に出なければならないような特別な事情も、存在しなかつたものと考えられるのである。従つて、木戸甚太郎のとつた本件投書発信禁止処分は、後記説明のとおり、同人は主観的にはこれを認識しなかつたとしても、客観的には、表現の自由を保障する憲法第二一条及び監獄法第四七条第一項の趣旨に反する違法な措置であつたと考えられる。

木戸甚太郎は、右措置をとるに至つた理由及び根拠について、検察官の取調に対し、「未決拘禁者の著作について」と題する昭和二九年一二月二四日付矯正甲第一、二六三号矯正局長通達をあげ、その第一項には、「未決拘禁者が新聞雑誌等に掲載するため、原稿の記述並びに発送を申し出た場合には、特に必要があると認める者にかぎり、これを許すこと。」と定めていて、本件投書の発信を禁止したのは、本件投書が監獄法第四七条第一項等所定の信書ではなく、右通達にいう原稿に当ると解せられるところ、本件投書を閲覧した結果、それが右通達にいう「特に必要ある」場合とは認められないものと考えたためである旨供述している。そこで、右通達についての考察を付加すれば、同通達第二項は、「原稿の検閲については、昭和二六年九月矯保甲第一、二九二号『刑事被告人の発する信書について』の例によつて処理すること。」と定めており、同通達は、一般の信書の例によつて原稿の検閲をするが、原稿の記述及び発送の場合には、特に必要があると認める者に限りこれを許すと定めて、一般の信書と別異の取扱いを認めているものと解せられるのである。しかし、表現の自由、検閲の禁止に関する憲法上の保障の面から見れば、思想の表現形式としての文書を、信書と原稿とに区別して、両者の取扱いを特に異にしなければならない理由に乏しく、特に、未決拘禁者につき、信書と原稿とを区別して、原稿の発信については禁止を原則とし、監獄官吏の裁量により例外的に許可すれば足りるものと定めた右通達は、先に説明した見地からすれば、未決拘禁者の憲法上保障された前記表現の自由を不当に制約するものではないかと考えられるのである。従つて、かりに、木戸甚太郎が本件投書の発信を禁止したのは、同人が検察官に供述しているように、右通達にもとずくものであつたとしても、なお、その処分が客観的には、違法な措置であることに変りはない。結局、木戸甚太郎の行つた行為は、客観的には、同人の東京拘置所保安課長としての権限を逸脱した違法なものであり、その結果として、請求人の正当な権利の行使を妨害したことになるものと判断せざるをえないのである。

(四)  しかしながら、刑法第一九三条所定の公務員職権濫用罪が成立するためには、公務員がその職務権限に属する事項について、その職務権限を逸脱して客観的に違法に行使したというだけでは足らず、主観的にも、職務の執行に名をかりて不法に職務権限を行使する認識、意図をもつていたこと、即ち、職権を濫用する認識、意図の存在することが必要であると解せられる。そこで、更に、本件において、木戸甚太郎がこのような認識、意図をもつていたと認められるかどうかについて各証拠を検討してみると、木戸甚太郎は、これまで、請求人が東京拘置所内から、法務省人権擁護局、朝日新聞社法律相談部下光軍二、東京弁護士会法律扶助会、東京大学教授団藤重光らに宛てて発信しようとした文書について、いずれも、その発信を認めていたこと、これに対し、本件投書は、これまでのものとその様式を異にしたものであり、これまで、東京拘置所において、他の未決拘禁者に対しても、本件のような新聞社宛の投書などの発信は、原則としてこれを認めていなかつたこと、このような東京拘置所の取扱いの根拠としては、前記「未決拘禁者の著作について」と題する昭和二九年一二月二四日付矯正局長通達が存在すること、がそれぞれ認められるのであつて、これらの諸事情を総合すると、木戸甚太郎が本件投書の発信を禁止する措置に出たのは、自ら検察官に対し供述し、また、陳述書において付陳しているように、同人が前記通達にもとずく東京拘置所の従前からの取扱いにそのまま従つた結果、朝日新聞社の編集局「声」欄係宛の投書のごときは、信書ではなく、前記通達にいう「原稿」であつて、本件投書は、その内容から見て、右通達にいう「特に必要ある」場合とまでは認められないものであると判断したためではないかと考えられるのである。そして、監獄官吏としての木戸甚太郎が、前記矯正局長通達にもとずくものと判断して、本件投書発信禁止処分をしたのであれば、同人としては、これを正当な職務の執行として行つたものと解せられるから、同人が、本件投書の発信禁止処分を行うにあたり、前記説明のような職権濫用の認識、意図をもつていなかつたことを裏付けるに足る資料であり、本件記録にあらわれたすべての証拠によつても、同人が恣意にもとずき職務に藉口して右違法な行為を行つたものであるとの点、即ち、同人が職権濫用の認識、意図を持つていたとの点を認定することは困難である。

(五)  以上説明のとおりであるから、請求人の木戸甚太郎に対する本件告訴事件につき、前記記載のような理由をもつて、これを嫌疑不十分として不起訴処分に付した検察官の措置は、結局、相当であり、請求人の付審判の請求は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第二六六条第一号により、主文のとおり決定する。

(裁判官 真野英一 外池泰治 堀内信明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例